しばらくぶりの更新が
悲しいお知らせになってしまって
ごめんなさい。
O次郎が亡くなりました。
3月5日のことです。
20日の15歳のお誕生日まであと2週間でした。
亡くなって一日経ちましたがまだ
ぜんぜん実感が湧きません。
足元でいつものように眠っているように見えるのに
呼んでももう応えてくれないのが悲しいです。
1999年5月の、2ヶ月の時に
私のところにやってきました。
明るくて好奇心旺盛で
一秒たりともじっとしていなくて
写真を撮るといつもブレてました。
いつもビチビチしているもんだから
捕れたての黒マグロと呼ばれていました。
デジタル時代で本当に良かった。
マンションの窓の外は多摩川方向で、
神奈川側の花火が正面に見えたのが
懐かしいです。
花火の地響きのような音にも
雷の轟音にも反応しないくせに
隣のビルの屋上で花火に歓声をあげる
人の声にはキャンキャン吠えていた
変なパピーでした。
O次郎という名前は「おばけのQ太郎」の
弟の名前を付けました。そう「バケラッタ!」
しか言わないOちゃんです。
夢の中で、今度家に来るという
仔犬のシルエットに、一本毛が生えて
いたのが理由です。
犬を飼うなら「おーじろう」だな、と。
Oちゃんとはその夢から2週間後に
出会いました。「波平さん」にしなくて
つくづく良かったなと思います。
毎日職場に出勤して、仕事の間は
足元で寝て待ち、終わったら
帰宅する24時間一緒の生活も
6年経った2005年、
すっかりリズムができたところへ
私が結婚したことで困惑し
(夫のことは、この人最近毎日いるね状態)
2006年にQちゃんが生まれたことで
彼の人生(犬)はまさに一変しました。
びーびー泣くばかりでお母さんを
取り上げてしまったQちゃんのことは
混乱の極みだったと思います。
どんなに悔しくても
絶対に手出ししない優しい性格でした。
たとえ上をハイハイされようと
口に手を突っ込まれようと
耳を引っ張って馬乗りになられようと。
でもね。
新しい生活は混乱や嫉妬ばかりでは
ありません。なにせ、ものが降ってくる
降ってくる。
床に落とした食べ物に
突進しようものなら背負投の刑だった
私の一人暮らし時代の厳格なしつけは
どこへやら。
赤ん坊の落とした離乳食やバナナから
始まって、どんだけ食べたことでしょう。
拾って食べるななんて言えません。
降らせるヤツがいますから。
そして素早くダッシュしてパクっ!
ピラニアと呼んでました。
黒くてでかいけど。
というわけで、
Qちゃんが成長するにつれ
ピラニアが許されることへの
感謝もあり、良い関係を
築いていけたのです。
敵が一年生になった今でも
落としたリンゴやパンのバトルが
繰り広げられていました。
あくまでおじろにとっての
マスターは私でしたが、
私が尊敬する人(夫)
大切にする人(Qたろ)
とも良い距離感を持って
良い群れのバランスを
保っていたと思います。
たくさん思い出の写真を載せました。
クリックして拡大して見てやってください。
O次郎に会ったことがある人も、ない人も
私の話やこのブログを通じて
見守ってくださり
ありがとうございました。
おじろ母
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3月5日(水)の夕方のこと。
3時過ぎぐらいから、久しぶりの痙攣発作が出た。
ここ1ヶ月くらい、薬を飲みながら安定した
体調を維持していたから安心していたのに。
だからまさに、「うわ、出た!」という
かんじだった。
年が明けてから痙攣が起こっても
12月のような激しく精神的な興奮を
伴うものではなく、発作の後も1日か
悪くても数日すれば体調は戻った。
安静にしていれば少しづつ元気が
回復してくるのだ。
さらにここ何週間かは
ほぼ発病前の元気まで戻っていた。
お散歩でリードを持つと、嬉しくて
クルッと一回転!
なんて華麗に(ややずっこけつつ)
やれるくらい、発作のことを忘れる
くらい力がみなぎっていた。
だからまた同じかんじで収まるかな?
と特に深刻に考えずに介抱していた。
なでていたらやがておとなしくなったので、
スカスカ寝ているとその時は思った。
でも良く思い出してみればそんなことは
一度もなかった。
収まった後に、おかしかった自分を
「今、おかしかったですよねお母さん?」
という不安そうな目で必ず
見上げたじゃないか。
もしかしたらこの時点で意識は
もうろうとしていたのかもしれない。
寝ていたベッドにもらしてしまったので
洗う準備をする。
意識の有る時は、もらしたりすることは
まずない。一日留守番でも我慢できるし
ちゃんと外に歩いて行って自力でトイレはできる。
一時後ろ足が立たなかったときは
抱っこで階段昇り降りが数日続いたけど
それは別として。
高齢犬なのにこれだけは本当に偉い。
でも痙攣の時だけは別だ。
すべてコントロールを失うらしい。
早く洗って乾かしてまたふかふかにして
寝られるようにしてあげなくちゃ。
背もたれとクッションとカバーをそれぞれ
バラバラに2回に分けて洗濯した。
ぐったりして目だけ動かすおじろに
「汚したら洗えばいいんだから大丈夫だよ」
と話しかけながら。
その時はもう使わなくなるなんて思いもしなかった。
その後4時頃Qちゃんが学校から帰って来て
発作が起きたことを話すと
おじろをしばらくなでなでした後
宿題をしている間にまた発作が起きた。
さっきより激しかった。
今度は本気で心配になってきた。
二人で名前を呼びながら
なでて、さすり続けた。
やがて痙攣がおさまってほっとする。
静かに上下している胸に手をあてる。
だんだん静かに心臓の鼓動が小さくなり
私の手をやがて押し上げなくなった。
え?うそ。
どうした心臓!
だめー!!
まだ行かないで。
もう一度目を覚まして。
おーちゃん、おーっちゃん!
お願い!
何度呼んでも、反応がない。
おじろは安らかな眼差しで目を少し開けて
静かに横たわっている。
これは、死?
何で?まだこんなに温かいよ。
何で?想定外ですけど。
二人で、動かない犬を抱いて、泣いた。
ほんの少し前まで、あんなに
元気にしていたのに、
あっけなく逝ってしまった。
12月の予約の朝発作が起こりキャンセルした
トリミングも、ストレスが
影響するからと禁止されていたのが
ようやく月曜日にしてもらえたのだった。
朝診察をした先生もびっくりするぐらい元気で
しぶしぶシャンプーも承諾してくれた。
首に海賊のバンダナしてもらって
「かわいいのしてもらったね」
って迎えに行った帰りに
頑張ったことを褒めてあげた。
おじろは触るとふかふかで、ツヤツヤで、
いい匂いがした。
いつもの表情で
ニコニコしながらしっぽをふって
家に帰れることを喜んでいた。
綺麗にしてあげられて良かった。
爪切りも、パッドの毛刈りも、耳掃除も。
抜け毛が半端なかったそうで1000円余分に
手間賃取られたけど。
すみませんブラッシングしてませんでした(汗)
病院からの帰りも、車の助手席の足元に
ヒョイと自分で乗り込む力もあった。
もう、ずいぶん前に荷台のバリケンには
飛び乗れなくなっていたけど。あの日は
行きも帰りも自分から助手席にヒョイと
飛び乗り、そしてレザーシートにアゴを
乗っけて鼻みずの跡をつけてた。
車に乗る前に少しお散歩しているとき
(これが私の最後のお散歩と
後で知ることになる)
薄く細い月が暮れなずむ西の夜空に浮か
んでいるのを見つけた。
「にっこりマークの口みたいな月
だから『にこ月』という名前を
つけたよお母さん」
とQちゃんは言った。
本当に、月がどちらかに傾くでもなく
下ににっこりの細いお皿のような形になっていた。
調べたら新月から二日目だった。
「にこ」は月齢にも合っている。
シャンプーから帰ったその夜、私は熱を出した。
次の朝、悪寒と関節の痛みから、
これは薬がないと翌日の学校の面談は
さすがに無理かも・・と
一晩寝れば治ると思っている頑丈な私だけど
さすがに火曜日の朝医者に行った。
すると「インフルエンザA型ですね」
へ?薬でももらって~とのんきに行った
つもりがインフルエンザとは。
初めてかも。タミフル初めて飲むもん。
「今週いっぱい外出禁止ね」
ですよね・・・面談どころではない。
がーん・・・
帰って来て薬を飲み、ソファに横たわると
おじろがやってきて足元にストンと丸くなった。
すかさず足をくっつけて足を温めてもらい、
寒気と痛みに耐えつつまどろむ幸せな時間。
夜は8度9分まで上がった。
ゴジラになった気持ち。
吐く息熱い。ゴーーゴーーウガオー
家事育児一切を夫に任せ、寝た。
ずーっと痛い。寒いと熱いは交互にやってくる。
夜中に目が覚めて、
リビングに水を飲みに上がった時に
リビングのベッドで寝ていたおじろが
寝室に一緒に下りてきた。
布団の脇でじーっと私を見つめて、
「おいで」と手を伸ばすとぺろぺろなめた。
今まであまりしたことのない仕草だった。
そしてドサリと布団の脇に添い寝してくれる。
寒いこの時期、くっついていると
本当にあったかい。
でも今は熱があるからおじろに私は
暑苦しかったかもしれない。
この、ぺろぺろとドサリが夜中に2回あった。
2回目はていねいに隅々までなめてたな。
うつらうつらしながらくすぐったかった。
今思うと、O次郎なりの予感が
あったのか、お母さんだけにしてくれた
さよならだったのかもしれない。
朝、夫が登校するQちゃんを見送りがてら
緑道までお散歩に連れていってくれて、
帰って2階まで自力で上がった。
フードを食べて薬と水を飲んで、
いつものようにベッドで寝ている。
その後夫は学校へ。一年生最後の
学習発表会に私の代わりに参加してくれた。
午後の面談は来週の人と替わってもらった。
直前のお願いなのに快く替わってくださった
方がいる。ありがたい。
そんな穏やかでいつもの午後と同じ、
柔らかな時間が過ぎていると、私は思っていた。
でもおじろのなかでは違っていた。
違う針が動いていた。
Qちゃんが帰ってくるのを待っていたかのように、
さして苦しまず、潔く、息を引き取った。
君たち兄弟みたいに
過ごしてきたよね。
おもちゃの奪い合いに
勝ったり。
ベッドの取り合いに、負けたり。
突然だった。
でも突然じゃなかった。
今まで本当に良く頑張ってくれてたんだ。
歩けないくらい体調が悪かったのに
最後のともし火を全部この数週間に使って
くれたんだね。
一人ぼっちのときでなくて良かった。
予定どおりだったら誰も夕方まで
いなかったかもしれないのだ。
さよならを言わせてくれて、ありがとう。
最後まで自分で歩いて、食べて、ぐふーと鼻息で
ため息ついて、鼻ぢからでドアを開けて部屋を
出入りして(閉めたことはない)。
胸に大きな腫瘍ができた身体で
しんどかっただろうに痩せることもなく
運動不足でも体重21キロでスレンダーで
ナイスなウエストとオシリをキープし、
やや馬ヅラなアゴのっけも可愛かった。
今年はお前の年でもあったのにうまじろ。
姿勢良くじーっとテレビの前にお座りして
「ごはんは?」と穴が空くほど
見つめることも最後までやってくれたよね。
いつものおーちゃんのままで、
家族にたくさんの幸せを、ありがとう。
お母さんのところに来てくれて、ありがとう。
安らかに。
さよならおーちゃん。
(享年 14 歳 11 ヶ月)
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追伸
もうこんなふうに
膝にアゴのッけしてくれないんだね。
気は優しくて力持ちなおーちゃん。
小さい犬に吠えられると腰が引けちゃう
大きいおーちゃん。
さびしいよ。
大好きだよ。