大震災

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3月11日(金)14:46頃大きな地震があった。

ちょうど幼稚園から帰宅して、Qたろはカード遊びを始めたところで
私は階下で着替えていた。地鳴りのような音とともに振動が始まって
地震だ!これは大きそうだ!と、急いで2階へあがり、
緊張気味の犬と子供のそばによって様子を見る。
棚からおもちゃが降ってくる。

台所でも保温ポットなんかが高い棚から飛んでいる。
ガランガランがしゃん。

揺れは長く続くようだったので、入り口のドアを開けて
階下へ向い、ガレージの入り口の扉も開けた。

その間もドドドという音(我が家はクローゼットの扉が軽いので
単にそれがガタガタうるさかっただけと思われる)
とともにぐらぐら揺れた。

道端には近所のおじさんおばさんたちがたくさん出ている。
先日のニュージーランド地震のこともあり屋内にいるのは
恐怖らしい。それもわかるが、私は屋外のほうが恐怖だ。
何が降ってくるかわからない。

なのでとりあえず子供をだっこしてガレージの中で扉を開けたまま
おさまるのを待った。犬も様子がわかるのか脱走したりしないで
大人しくそばにいた。

揺れがおさまり、しばらくして父ちゃんが帰ってきた。
ちょうど最寄り駅に到着したところで遭遇したらしい。

そう、金曜日から戸隠にスキー旅行を計画していたのが幸いした。
早めに帰宅していたおかげで我が家は全員帰宅困難に見舞われずにすんだ。

大きい地震だとは思ったがこれほど大変なことになるとは
思っていなかった私たちは、旅行の支度を続けつつ、テレビの地震情報をみていた。
電車が止まってるってことは、道路は?と、高速道路情報を見ると、
首都圏から東北方面の高速道路は通行止めで真っ黒(黒は通行止めという意味)。
行き先は長野だし、関越さえ大丈夫ならねぇ。。としばらく
様子を見たが、やはり再開しそうにない。

そのうち、恐ろしい津波の映像が次々と報道されはじめ
事の重大さにようやく気がついた。
長野行は諦めて自宅で過ごすことにした。

現地で合流するはずだった人たちは関西方面からで、現地に無事到着していた。

ところが未明の長野・中越地方の大きな地震で、スキー場は運休になってしまったそう。
ああ、本当に神様が「行くな」って言ってたんだねぇ・・・
ともあれ、家族全員無事ということに感謝しつつ週末を家で過ごした。

現地の悲惨な映像には胸が痛む。
早く余震がおさまってくれることを祈るばかりだ。

コメント(2)

大震災の日は電話で元気な声が聞けてよかったです。
あれからしばらく 千葉の妹ファミリーとも久善とも全く連絡がつかず心配しましたが、皆無事でした。ただ 地震と大津波という自然の力にはただただ愕然としています。それに加えて、原発事故。こちらは終息しそうになく、本当に心配ですね。
計画停電や、食べ物の問題、放射能の問題。。。しばらく関東を離れるように外国の大使館は勧告しているそうです。
博美ちゃんファミリーも身体にきをつけて、、いざとなったら
逃げてきてね。

puchi

暖かい言葉をありがとう~
いざという時に逃げる先がある!と思えるだけで安心感が違います。

ほんとに大変なことになりましたね。
皆さまご無事ということで何よりです。

原発も毎日爆発や火事の報道で一向に収束に向かう気配がないのが心配ですね。
余震が続いていてる上に、長野や静岡など地震が続発しているのが不気味です。
昨日の夜中の静岡の地震も結構揺れたけど、
あぁ揺れてるな~と思いつつそのまま寝続けた私。
危険に反応するよりも睡魔が勝ってしまい・・・逃げ遅れるタイプかも。

幼稚園は休園になり、家でお絵かきしたり近所にお散歩に行くくらいしかできませんが
テレビでは地震報道ばかりで子供もそれなりに疲れるのか明るいうちにお風呂に入り、毎日8時にはバッタリ親子で寝て、朝も早起き。
節電生活になってるね。

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この記事について

このページは、hirocが2011年3月14日 14:05に書いた記事です。

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